みなさま明けましておめでとうございます。
朝日 夜です。


新年あけてまだ6日ですが、濃すぎて大変な新年となってしまいました。

この度の能登半島地震により亡くなられた方に、謹んでお悔やみ申し上げます。
そして被災されたみなさまにお見舞い申しあげます。


朝日は募金することくらいしかできませんが
時がきたら何か力になれたらと思っております。


記憶も薄いくらい前のことですが、昔、能登半島で地震が起こったときにボランティアに行ったことがあります。当時も震度6くらいだったような気がします。

写真を見返すと木造住宅が今回の地震のように倒壊しておりました。


私はまだクソガキでして、自分からボランティアに行きたいと言ったわけもなく、ただ父に連れられついていっただけでした。

当然私にできることなんて何もなく、体育館のような広場でおじいちゃんおばあちゃんと喋って、夜は父の車の中で寝泊まりしたくらいです。


「ここに住んでいる人大変だなぁ、でも車で寝るの楽しいなぁ」くらいの、本当に失礼なガキです。


しかし体育館で2,3日話しただけのおじいちゃんおばあちゃんが大層喜んでくれまして、私宛に実家に素晴らしい桃を送ってくださいました。電話でお礼を言い、大変な状況の中もう送らなくて大丈夫ですよと言ってもその後何年も送ってくださいました。

私には感謝される意味がよくわかりませんでしたが、多分いまも全部はわかりきっていません。
おそらく被災された方にしかわからない感情なのかと思います。

被害にあっていない外の人間の想像力や気遣いなんてものは、実は180度間違っていたりするのかもしれません。それも試し用がないですし、現地では感謝してくださっても実は迷惑なのが言い出せないだけの可能性もあります。

しかしあの桃はお世辞で送ってくださったものではなかった。人間は難しいです。






その後、不思議な感情を抱えたまま東日本大震災のボランティアにも行きます。

津波にのまれた家の土をかきだすボランティアでした。大きなスコップで掘り出すのですが、相変わらずヒョロヒョロなので役に立ったのかはわかりません。大阪からきたお兄さんたちが私の15倍は土をかきだしていたので、私の意味はなかったかもしれません。

この時は仮設施設や体育館の避難所に行けなかった(おそらくボランティアは入ってはいけなかった?)ので、現地の方とゆっくり話すということはできませんでしたが、持って行った物資を受け取りにきてくださったときに少し話しました。私たちより強く生きていらっしゃると思ったのを覚えています。第六感なんてないですが、パワーが違いました。生きてやるというパワー。



長々と話してしまいましたが今後もこのような地震は起こるでしょうし、たかだか自分一人に何ができるんだとも思いますが、喋るだけで喜んでいただけた事例もあるとだけお伝えいたします。

しかしもしかしたらあの中には、他県からきてベラベラ喋るクソガキに腹がたっていた人もいるかもしれません。言えなかっただけで、私を恨んでいた人もいるかもしれません。

その匙加減は一生難解なままです。




以下の漫画は東日本大震災のときの漫画です。
また時期がきたら石川県に行きます。どうかみなさんお元気で。

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